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  • 執筆者の写真Yuichi Seshimo

思いを汲み取る

更新日:2021年3月4日

先日、司法書士事務所から連絡を頂いた。

事務所で後見人となっている方の家の売却のお話。


後見とは、わかりやすく言えば、ご高齢などで判断力が低下するなどして第三者による保護を受けることを言う。目的はいわずもがな資産や権利の保護で、後見人は裁判所の承認を経て任命される。




日本において成年後見人制度を利用している人は、厚生労働省の白書では平成29年の時点で21万人余り。年平均5%ずつ増えているという現状がある。後見人は誰がなっても構わないが、司法書士もしくは弁護士が

担うことが多い。


お預かりした家で暮らしていたご夫妻にはお子さんはいない。

数年前に奥さまを亡くし、その後ご主人さまは体調を崩された。しばしの間ヘルパーさんの手助けを受けながら過ごされたが、2年前に施設にお入りになった。認知症も進行し、後見人が任命されたわけだが、縁者がいないわけではない。その方々が推定相続人となる。それぞれの事情があるわけだから一概には言えないが、フォローはできないから司法書士に対して後見を依頼したということなのだろう。いずれにしても、その家は主を失い空き家となった。そして2年が経過した今、遠い縁者のご意向により売却することになった。


私たち夫婦にも子供はいない。

この家のご主人の遠い縁者とは甥と姪とのことだが、私には姪が一人いるだけだ。

誰に指摘されるわけでもなかったが、私自身の未来と重ね合わせて複雑な思いになった。


家の内部はまるで居住中かのような佇まいだった。

今にも奥から「こんにちは」と家の主が出てきそうなくらい。

それほど暮らしていた状況がそのまま残っていたということだ。

空き家だと認識できるのは、止まった時計とカレンダーは2018のままだということ。

それと、LEICAに薄っすらと積もった埃くらいなものだ。






この玄関から数え切れないほど「行ってきます」と出掛け、「ただいま」と帰ってきたはずだ。

差されなくなった傘たちも、履かれることもない靴たちのすり減ったソールにも思い出は詰まっている。




一階は雑然としている。

ご主人は体調を崩されてから一階で過ごすことが多くなったというお話だから、雑然とするのは是非もなかったことだと思う。なんら不自由もなかった私の大学時代の下宿先もこんな感じだった。誰も指摘する人がいなくなればこうなるし、こうなることでも誰に迷惑が掛かるわけでもないのだから。ただ、この家には時々上京して小言言いながら片付けてくれた母がいるわけでもないし、今度こうしたら出てゆくからと言いながら掃除をしてくれる恋人などはいないということだと感じた。




季節は冬なのに、この日はとても穏やかな日でリビングには優しい光が差し込んでいた。

26年前の家としては窓は大きい。ここは一階では一番多くの時間を過ごす場所だったと思う。いくつもの水彩画がきちんと額装されて飾られている。どれもご夫妻が自ら描かれたものだという。確かに、落款は二種類ある。家の中の絵は、フェルメールの「真珠の耳飾りを持つ少女」の小さな絵葉書以外は、全てご夫妻が描かれたもの。




水彩画の道具が整然と並んでいる。ご夫妻は二階のリビングに講師を招いて水彩を学んでいた。

リビングには大きなテーブルがあったが、今ではクリーニング済みの衣類が整然と積まれていた。

絵具皿は乾いてしまっていたが、同じ「青」でも、群青、薄浅葱、鉄藍色、孔雀青、紺碧など様々な色。

私には絵心はないが、日本の「色」の名前の独特な趣に惹かれて学んだことがあったのでとても興味深かった。ご夫妻にとって、それほど思い描く「青」はたくさんあったのだろう。




クローゼットの衣類の大半は婦人もの。

奥さまが亡くなられてから持ち物を処分した形跡はない。

その理由が億劫だったのか、それとも「情」があったから捨てられなかったのか。それは誰も知る術はない。けれど、この家とりわけ二階の佇まいを見ていると、後者であったような気がする。それは、もしかしたら将来はそうでありあいと思う私自身の願望なのかもしれない。





ソファには婦人もののフェルトの帽子。

クローゼットには帽子ケースも数多くあったのでお洒落な方だったのだろう。





ブラウン管のテレビの上には、埃をかぶったおひな様。

いつかの桃の節句に飾られてからずっと「お出まし」のままだろう。

女の子どころか、子供がいない我が家でも妻はおひな様を飾る。端午の節句に甲冑を飾ることなどなくなった私にはわからなかったことだが、このおひな様をみて思った。女性はいくつになっても、子供がいようがいまいが、桃の節供には何かときめくものがあって、こういうささやかなことをしたいと思うのだと。





私は、ご夫妻の顔は知らない。

きっと、本棚にあったこのアルバムを開けば往時のご夫妻を見ることができるだろう。

しかし、そこは紛れもないプライベートな領域なので開かなかった。

遠縁の方からは一切合切処分して欲しいとの依頼だそうだが、こちらは司法書士事務所が保管する。







2時間くらいはいただろう。

ご夫妻と自分自身を重ねる瞬間はあったけれど、私の友人にも子供がいない夫婦は少なくはない。それが幸せなことか、そうでないか。事情は異なるし、価値観も様々だと思う。少なくとも、私は幸せだと感じて暮らせている。もちろん、未来はわからないけれど。


登記簿謄本から、ご夫妻は還暦前後でこの家を建てたことが読み解ける。

当初は、お子さんもいないのにその年齢で建てた理由が見えてこなかった。けれど、少しの時間をここで過ごしたことで何となくその思いが見えてきたような気がした。巷でいう資産とか、財産とか。そういった感覚で建てたわけではなく、ご夫妻で一緒に好きなことをして過ごす空間をと望んで建てたのではないか。だから、家の中には共通の趣味だったであろう水彩絵の道具や、作品がたくさんあったし、5台もあったノートパソコンやLEICAの一眼レフカメラはご主人の趣味だろう。人形やリビングにあった洋磁器は奥さまの趣味だったのだろう。そう思いを巡らせれば、きっと幸せな時間を過ごされたのだと思うし、この家もその暮らしを温かく包んできたのだと思う。




『思いを汲み取る』


今はその思いを汲み取って、少しでも寄り添えることができたらと思う。

買い主が決まれば、この家は第二幕をスタートさせるし、新しい色にも染まってゆく。

ただ、新しい主は切り替わるその刹那で構わないので、第一幕であった26年を知ってもらえる人であって欲しいと思うのだ。そうなったら、きっと思い出も、それを包んできたこの家もきっと幸せだろう。


私が起業して今の会社を立ち上げた時からの盟友である建築家のI氏と「家は縁起物」とよく話す。

企業当時はリノベーションをメインに建築家とつくる空間を提案してきた。今は、こうして不動産も扱うことになってきたけれど、「縁」の大事さはいささかも変わりがない。

売却できればいい。そういう単純な話ではなく、土地でも家でも大事な何かは必ずあるわけで、そういうものをバトンタッチする機会を作れれば、きっと土地も家も新しい主の輿望に応えてくれる。そう信じている。





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