好角家【こうかくか】とは生粋の大相撲ファンを指す。
僕は好角家というほどのものではないが、場所が始まると午後四時ころから取り組み結果が気になり始める。年に六回開催される本場所。一年の最後は九州場所で「年度納めの九州場所」と言われ、力士にとってはひと際思い入れがあるとも言う。勝ち越せば清々しい気持ちで初場所を迎えることができ、負け越せば沈んだ気持ちで年の瀬と新年を迎えることになるというのがそのひとつの理由。その九州場所は現役横綱の暴行という土俵外での話題に水を指された。
事件を巡ってはいつの間にやら部外者なのでは?という面々も登場し、何が真実なのかもわからない内容を連日取り上げるメディア、そこに恐らくは相撲に普段関心を持っていないだろうと思われる人々が差別的な表現も交えて加わった。
日に日に加熱する報道に対して後手に回る相撲協会。関取経験者になんか任せるからいけないんだ。ここまでの不祥事で何も学ばない。世論は概ねそんな調子。でも僕個人は協会は決して後手に回ったのではないとように見える。むしろ相撲界以外の人々にとっては理解できないであろう独自の空気感や文化、それを育ててきた歴史というものと、今の世の中のルールの乖離に本気で苦しんでいるように思えてならない。言ってしまえば良い意味でも悪い意味でも時代錯誤の文化も色濃く残る世界。荒々しく、日本という島国でしか発展してこなかった相撲。このギャップを上手に説明することは至難の業だろう。間違っても「あなたたちになんて理解できるものじゃないんだ」なんて口に出せない。
連綿と培われてきた文化。良いエッセンスは受け継ぎ、悪い文化を改める。理想論とも思えるそんなことが実現することはとても難しいだろう。でも「これが相撲の文化だ」と言い切ってしまうことと「本質」をしっかりと認識している中で暗中模索することは大きな差がある。前者は変わることを拒否し、後者はいつか変わるための苗床を備えているということになるからだ。
日馬富士の引退会見。
「お酒が入ったからこの事件が起きたいんじゃない」
この台詞がとても気になった。暴力を奮ったのは事実でも無念であったろうと。力士の中では小兵に分類される日馬富士は横綱にまでなった。複雑な心境ではあるが、いち相撲ファンとしてはもう少し土俵にあがって欲しかった。
#文化の違い #大相撲 #日馬富士
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